| お菓子にはつきものの小麦
人がこの中央アジア原産の穀類を食べ始めたのがいつからだかはっきりとはわかっていないが、
紀元前4000年頃にはバビロニアでパン状に加工したものが食べられていたようだ。
それ以前はかゆ状にして食べていたのだが、このかゆを焼けた石の上で焼いたのがガレット。
これが今のクッキーの原形である。
かゆではなく石臼で挽いた粉を水で練ったものを焼いたのが平焼きパン。
これと同様のパンは今でも各地に残っている。
インドのナンやチャパティがそうだし、ヨーロッパの山岳地帯で食べられている保存用の固いパンもその一種だ。
当時はこのようにイーストを用いない平焼きパンだったのが、
しばらく置いてあったパン生地に自然に存在している酵母がぐうぜんに入り込み、
発酵により膨らんだものを焼いて食べたのが現在のパンの始まりのようである。
また、干したフルーツを生地に練り込み、
フルーツに元々存在している酵母を利用したものが”パネトーネ”や”シュトーレン”のオリジナルだろう。
中央アジアから西へ向かった小麦はパンになったが、
東の中国に向かった流れは蒸しパンと麺になった。
麺は中世になってヨーロッパへと持ち込まれ、現在のパスタになったと言う説もある。
今の饅頭の始まりは三国志の時代。
河に生贄を奉じる代わりに、羊肉を入れた蒸しパンを放り込んだのが原形だと言う。
だから人の頭の意味で「蛮頭」「曼頭」と呼んだらしい。
この饅頭は日本へも持ち込まれた。
始めは野菜などを詰めていたようだが、江戸時代になってお菓子として花開いた。
日本酒の酵母で発酵させた酒饅頭、栗を入れて焼いた栗饅頭、
そして皮に山芋を入れて膨らませた薯蕷(じょうよ)饅頭が今の主流となった。
そして明治維新。
日本にも発酵パンがやって来た。
このパンを日本でも生産しようとする試みは、門外不出のイーストにはばまれてなかなか実現はしなかった。
そこで思い付いたのが酒種。
実はこの酒種で発酵させたパンで作ったのが中村屋のあんパンである。
中央アジアから始まった流れは、大いなる時を超えて日本で再び合流した。
まさに終着点。
あんパンこそ粉食文化の末裔と呼ぶにふさわしい。(笑) |