| えー、毎度馬鹿馬鹿しいお笑いを一席
世はまさにボーダーレス。
世間には世界中の食べ物情報が満ちあふれております。
この長屋にもその気配らしきものが漂って参りましたようで・・・。
『今日はいいお日和ですな、ご隠居様。朝から読書ですかい? 優雅なものでやすな。』
『おお、八兵衛さんかい。おはよう。』
『いったい何を読んでおられるんで?』
『これか? これはな、伊太利国の菓子を集めた本じゃよ。なかなか面白いものも載っておるぞ。ほらこれなど変っておるだろう。』
『うひゃぁ、これまた真っ赤っ赤な菓子でやすな。えーなになに、ずっぱいんぐれえぜ・・・?』
『うむ、これはな、真っ赤な薬用酒をたっぷりと染み込ませたかすていらと卵がゆを層にしてあってな、話を聞く限りでは非常に美味であるそうだ。』
『薬用酒ってーこたあ漢方薬でも使ってあるんですかい?』
『この本によるとこの酒は伊太利国の原産で、丁子、肉桂、肉荳蒄などの香辛料を使っているとある。その上に薔薇の花の香料で香りを付け、染料で真っ赤に染めるのだそうだ。』
『ほぅ、そいつは聞いているだけで効いてきそうですなあ。しかし染料まで使うこたあないと思うんでやすが。』
『まあそう言うな。当時はこの染料は貴重だったそうだからな。貴重であるが故に効果も高いと思われたのだろうて。』
『この染料ってことは原料をご存じなので?』
『うむ、これは臙脂虫と呼ばれるものじゃ。』
『・・・は? い・今なんとおっしゃいました? あっしの聞き間違いでなけりゃ確か”虫”とか・・・。』
『だからそう言うたではないか。虫じゃよ、虫。』
『な・なにが悲しゅうて虫を漬け込んだ酒なんぞを飲まにゃならんのですかっ! あー朝から嫌なこと聞いちまったい。』
『大げさなヤツじゃのう。虫くらい我が日の本の国でも食べておるではないか。先日おまえさんに分けてやった佃煮は美味かったじゃろう? あれは蝗の佃煮じゃよ。それに信州では蜂の子や川虫を食しておるぞ。』
『確かにそう言われればそうですが・・・。でもわざわざ菓子にまで使うこたあないでしょうに。もし目の前に出されても絶対に食べるつもりはありやせんからね。』
『仕方のないヤツじゃの。まあ安心せい、日の本では食べたくとも食べられやせんて。』
『は? またそれはどういうわけで? 食べられないとなると食べたくなってくるから不思議なもんで。』
『どうしてこうおまえさんは心根が曲がっておるのであろうなあ。まあ良い、つまりこの酒は日の本には持ち込めないのじゃよ。なんでも成分の一部が日の本では許可されていないらしい。御上の決めたことでは仕方ないが、実に残念なことじゃな。』
『はっはっは、ほんに残念なことで。』
『・・・おまえさん、本当に嫌われても知らんぞ。』
『そうなるとこの真っ赤っ赤なお菓子にも愛着が湧こうってものですな。うーん、実に赤くて美しい。これが真紅っつーやつなんでしょうかねえ。』
『良いところに気が付いたの。この酒の名前はアルケルメス、亞剌比亞国では”緋色”、まさしく真紅を意味する言葉じゃよ。』
『んー、何か引っかかりやすね。そうそう、ついさっきこの酒は伊太利国原産とか言ってませんでしたか? 伊太利国原産なのになんで亞剌比亞の名前を付ける必要があるってんです。』
『うむ、実は当時、亞剌比亞は先進国でな、科学技術も相当に進歩しておった。当時の最先端科学と言えば錬金術、この酒は彼ら錬金術師たちが作り出したものと言われておる。そして錬金術の奥義には”補完の法”と呼ばれる秘法があってな、それによると体の悪いところを直すには同じ部位を食することが必要になると言われており、まさに生気を補うためにこそこの鮮血色の酒が作られたと言うわけじゃ。』
『はー、長い台詞ご苦労さんです。なるほどねー、鮮血色の酒とはまた面妖なものでやすなあ。まさに事実は小説より奇なり。こうやって聞いていてもとても本当とは思えませんて。』
『おう、良くわかったな、大嘘じゃよ。』
『・・・・・・すんません、帰らせてもらいます。』
『いやすまんすまん、あんまりおまえさんが素直に聞くものじゃから、ついからかいたくなってのう。本当はこの酒、伊太利国の修道院で作られたと言われておる。』
『今度はほんとでしょうね? でもそうだとすると亞剌比亞の言葉が付いている説明にはならないと思うんでやすが。』
『うむ、その点については儂にも良くわからん。おそらくこの染料を持ち込んだ亞剌比亞の商人が呼んでいた染料の名前がそのまま酒の名前になったのであろうな。』
『なるほどねえ、確かにこれだけ赤い酒だ、”赤”って名前が付いても不思議じゃないですなあ。』
『これだけ赤い酒の話だ、嘘も赤くなって当然じゃよ。
これがいわゆる”真っ赤な嘘”と言うわけじゃ。』
おあとがよろしいようで |